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東京地方裁判所 平成元年(ワ)9604号 判決 1990年8月29日

原告

右訴訟代理人弁護士

齋藤昌男

元木祐司

中町誠

被告

株式会社東急百貨店

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

鈴木孟秋

長谷川拓男

縄田正己

熊谷章

被告

株式会社東急コミュニティー

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

花岡隆治

向井孝次

山田忠男

齋藤晴太郎

沢田訓秀

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、連帯して金一〇〇万円及びこれに対する平成元年八月五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  不法行為

(一) 原告は、昭和五九年一〇月二四日被告株式会社東急百貨店(以下「被告東急百貨店」という。)から、肩書住所地所在のマンション「東急クリエール藤が丘」(以下「本件マンション」という。)の一室を購入した。

原告は、右購入に先立ち、同月一九日右マンションの購入申込書(以下「本件購入申込書」という。)に、当時の自宅の住所及び電話番号並びに勤務先の名称及び電話番号を記入して、被告東急百貨店に提出した。

(二) 被告東急百貨店は、同年一一月初旬頃までに本件マンション購入者全員との売買契約締結を終え、その後、原告を含む右購入者らが購入申込の際に同被告に提出した購入申込書の記載に基づいて、購入者の自宅の住所及び電話番号並びに勤務先の名称及び電話番号(勤務先の名称だけでは連絡が困難な一部購入者については、更に勤務先での所属部署または役職名)を記載した「東急クリエール藤が丘購入者一覧」と称する購入者名簿(以下「本件購入者名簿」という。)を作成した。

(三) 被告東急百貨店は、同年一二月頃被告株式会社東急コミュニティー(以下「被告東急コミュニティー」という。)に対し、本件購入者名簿を交付し、右名簿に記載された原告の勤務先の名称及び電話番号を同被告に開示した。

(四) 被告東急コミュニティーの従業員C(以下「C」という。)は、平成元年五月一一日午後四時五〇分頃、同D(以下「D」という。)は、同日午後五時頃、いずれも本件購入者名簿の原告の勤務先の名称及び電話番号の記載に基づき、原告の勤務先にそれぞれ電話をした。

(五) 右勤務先の名称及び電話番号は、(1)私生活上の事実であり、(2)一般人の感受性を基準にして、原告の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であり、(3)一般の人に未だ知られていない事柄であるから、原告のプライバシーに属する。しかるに、被告東急百貨店は、みだりにこれを被告東急コミュニティーに対して開示し、被告東急コミュニティーは、右情報を利用し、もって被告らは共同して原告のプライバシーを侵害した。したがって、被告らは、民法七一九条に基づき、連帯して右不法行為によって原告の蒙った損害を賠償すべき義務がある。

2  原告の損害

(一) 原告の勤務時間中、電話番号を教えたことのない会社の社員からそれほどの用件でもなく、自宅にすれば足りるのに、わざわざ勤務先に、しかも二度にわたり電話を受けたことにより原告は精神的損害を受けた。

(二) 更に、原告は、本件購入申込書に勤務先の名称及び電話番号を記載して提出することについて、使用者から、被告東急百貨店に対してのみ開示するという条件で承諾を得た。

そのため、原告は、被告東急コミュニティーの従業員であるC及びDから前記電話があった後、使用者から何故勤務時間中に業務以外の電話を事務所にかけさせるのか、何故被告東急コミュニティーが事務所の電話番号を知っているのか等と詰問され、これによっても精神的苦痛を受けた。

(三) 右原告の精神的苦痛を慰藉するには、金一〇〇万円の慰藉料をもって相当とする。

3  よって、原告は被告らに対し、連帯して金一〇〇万円及びこれに対する不法行為後の日である平成元年八月五日(本件訴状送達の日の翌日)から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実はすべて認める。

2  被告らによる原告の勤務先の名称及び電話番号の開示行為及び利用行為は、以下の点から、原告のプライバシーの侵害には当たらない。

(一) 勤務先の名称及び電話番号は、勤労行為が社会的性格の強い行為であることに鑑みれば、同様に社会的性格の強い事実であって、私生活上の事実には当たらない。

(二) 勤務先の名称及び電話番号は、現在の我が国の一般人の感覚を基準として、それらを公開されることによって心理的な負担または不安を覚えるであろうと認められる事柄ではなく、一般人の感受性を基準にして、原告の立場に立った場合にも、公開を欲しないであろうと認められる事柄には当たらない。

(三) プライバシーの侵害におけるプライバシーの公開とは、不特定又は多数人の知りうる状態に置くことを言い、ある者の知りうる状態に置いた場合にその者が特定者と言えるか否かは、その者と知らせた者との関係、知らせ方の態様、動機などの事情を考え併せて判断すべきである。

本件では、被告東急百貨店と被告東急コミュニティーは「東急グループ」という同一の企業グループに属し、かつ、本件マンションの分譲について販売会社と販売後の管理会社という密接な関係にあったこと、被告東急コミュニティーが本件マンションの管理会社となることについては分譲時に購入者全員の承諾を得ていたこと、本件マンション購入者に対する販売物件及び管理に関する連絡事項の伝達のために、被告東急百貨店が、原告の勤務先の名称及び電話番号を記載した本件購入者名簿を作成し、被告東急コミュニティーに交付する必要があったこと、本件購入者名簿は被告東急コミュニティーにおいて部外秘扱いとして厳重に保管されていたこと等の事情を考え併せれば、被告東急百貨店が被告東急コミュニティーに対し、原告の勤務先の名称及び電話番号を開示したことは、右事項を不特定又は多数人の知り得る状態に置いたものとは言えず、公開には当たらない。

3  請求原因2の(一)及び(二)の事実は知らない。同(三)の事実は否認する。

4  請求原因2の事実が認められたとしても、被告らの行為と原告の損害の発生との間には相当因果関係はない。

一般に勤務先の名称及び電話番号は、極めて社会的な性質を有しており、秘密性が要求されるとは考えられないこと、何らかの要件で相手方の勤務先に電話をした場合にその勤務先の上司から相手方が責められるということは通常予想されないこと、本件で原告が被告東急百貨店に勤務先の名称及び電話番号を開示した際に、特に同被告に対してのみ開示するという留保はつけていなかったこと、被告東急百貨店は原告の勤務先に既に何度か電話したことがあるが、その際、原告から勤務先に電話したことについて苦情等を言われたことは一度もなかったこと、被告東急コミュニティーが原告の勤務先に電話したのは、本件マンション管理組合の定期総会における原告の質問についての準備という正当な理由及び必要性に基づくものであったこと等の事情を考え併せれば、原告主張の損害は被告らの行為から通常生ずる損害ではなく、被告らにとって予見不可能な事情から生じた損害であって、被告らの行為と相当因果関係のある損害には当たらない。

三  抗弁

1  原告の承諾

(一) 被告東急百貨店は、昭和五九年九月頃から同年一一月初旬頃までの間、本件マンションを分譲したが、同被告は、右分譲に際し、購入者募集のための新聞広告及びパンフレットにより、本件マンションの管理業務は、本件マンション購入者による管理組合の結成後、右管理組合から被告東急コミュニティーに委託される予定であることを事前に明らかにした。

(二) 原告に対しても、被告東急百貨店は、同年一〇月二四日被告東急コミュニティーが本件マンションの管理会社となる予定であり、その管理形態は、本件マンション購入者により管理組合を設立し、当該管理組合と被告東急コミュニティーとの間で管理委託契約を締結して実施する方式であることを説明し、原告は、同日、被告東急百貨店に対し、「建物の区分所有等に関する法律」に基づき、他の区分所有者とともに管理規約を承認し、管理組合を結成して、これに加入すること及び本件マンションの維持管理については、その業務を右管理組合が被告東急コミュニティーに委託することを承諾した。

(三) 原告は、被告東急コミュニティーが行う管理業務の中に購入者、入居者に対する連絡業務が含まれ、かつ、右連絡業務を遂行するには右購入者等の勤務先の名称及び電話番号を知る必要があることを知っていた。

(四) 以上の事実によれば、原告は、同日、被告東急百貨店が同東急コミュニティーに対して原告の勤務先の名称及び電話番号を開示することを黙示的に承諾したものというべきである。

2  被告東急百貨店によるプライバシー開示についての正当な理由

(一) 本件において、以下の事実があり、これによれば、被告東急百貨店が、同東急コミュニティーに対し、本件購入者名簿を作成、交付することにより、原告の勤務先の名称及び電話番号を開示したことについて正当な理由があったものというべきである。

(二) 本件購入者名簿作成の経緯

(1) 被告東急百貨店が本件購入者名簿を作成した目的は、本件マンションの売主である同被告による右販売物件に関する連絡事項の購入者への伝達及び本件マンション管理会社となる予定の被告東急コミュニティーによる本件マンションの管理に関する連絡事項の購入者への伝達のために、購入者の所在及び連絡先を把握することにあった。

(2) そして、購入者が本件マンションに入居する前は従前の自宅宛では必ずしも連絡のつかない場合があり、入居後でも、同居の家族がおらず、あるいは日中不在である場合、ガス漏れ等により同居の家族自身に何らかの事故が発生した場合、連絡事項の内容からして購入者本人に直接または緊急に連絡する必要がある場合等があることから、被告東急百貨店は、これらの場合に備えて、本件購入者名簿に勤務先の名称及び連絡先を記載することとした。

(3) そこで、被告東急百貨店は、前記のとおり、本件マンション購入者の提出した購入申込書の記載に基づいて、購入者の自宅の住所及び電話番号並びに勤務先の名称及び電話番号(勤務先の名称だけでは連絡が困難な一部購入者については、さらに勤務先での所属部署または役職名)を記載した本件購入者名簿を作成した。

(三) 本件購入者名簿交付の経緯

(1) 被告東急百貨店が、被告東急コミュニティーに本件購入者名簿を交付した目的は、同被告に、昭和六〇年二月一六日に開催が予定されていた第一回管理組合総会の通知及び運営の補助並びに同被告による本件マンションの管理に関する連絡事項の本件マンション購入者への伝達のために、右購入者の連絡先を把握させることにあった。

(2) 被告東急百貨店は、昭和五九年一二月頃、右目的のため、被告東急コミュニティーに対し、本件購入者名簿を交付した。

(3) 被告東急百貨店による本件購入者名簿の交付は、「東急グループ」という同一の企業グループに属し、かつ、本件マンションの販売後の管理をなす予定になっていた被告東急コミュニティーに対してのみなされたものである。

また、被告東急コミュニティーが本件マンションの管理会社となることについては分譲時に原告を含む購入者全員の承諾を得ており、さらに本件購入者名簿は被告東急コミュニティーにおいて部外秘扱いとして厳重に保管されていた。

(四) 以上の事実によれば、被告東急百貨店が、同東急コミュニティーに対し、本件購入者名簿を作成、交付することにより、原告の勤務先の名称及び電話番号を開示したことについては、正当な理由があり、右開示は違法性を欠くものというべきである。

3  被告東急コミュニティーによる情報使用行為についての正当な理由

(一) 本件においては、以下の事実があり、これによれば、被告東急コミュニティーが、同東急百貨店から開示を受けた原告の勤務先の名称及び電話番号の情報を使用したことについて正当な理由があったものというべきである。

(二) 被告東急コミュニティーによる情報使用の経緯

(1) 本件マンション管理組合が昭和六〇年二月一六日成立し、同年四月一日右管理組合と被告東急コミュニティーとの間で、本件マンション管理委託契約が締結された。

(2) 被告東急コミュニティーは、平成元年四月二八日、同年五月一四日に開催が予定されていた本件マンション管理組合の定期総会の議案書を入居者全員に配布した。

(3) 原告は、同年五月一〇日正午頃被告東急コミュニティー青葉台営業所に電話し、Cに対し、「私は本件マンションのB館前のマンション建設問題について東急百貨店とは和解したが、東急コミュニティーからはその後何の連絡もなく、決着がついていない。五月一四日の定期総会では管理委託契約の更改が議題となっているが、私の方からいろいろ質問させてもらうので返答できるよう準備しておくように。」と述べた。

(4) 原告は、昭和六一年四月二七日に開催された本件マンション管理組合の定期総会の議事録中に、本件マンション南側の土地に建築されたマンションの問題につき「右マンションの建設業者藤和不動産との間の覚書・協定書は管理組合の理事長名で締結されたことを確認した。」との記載がされたことについて、同年五月二二日頃被告東急コミュニティーに対し、右の定期総会で右のような内容の議決はなされていないとして、直ちに議事録から右記載を削除すること及び右記載をしたことについて原告への陳謝を求めた。

そのため、Cは、原告が本件マンション南側のマンション建築問題について被告東急コミュニティーに謝罪を求めているのか否か、総会での原告の質問に対していかなる返答準備をすればよいのか等の点について、平成元年五月一四日の前記定期総会前に、前記議事録作成当時の管理担当者であったDとともに、原告との話し合いの機会を持った方がよいと判断した。

(5) そこでCは、その場で原告に対し、「どういうことを準備したらよいのかお聞きしたいので、一度お会いしたい。Dと相談してからまた連絡する。」と伝え、原告はこれを了承した。

(6) Cは、その後直ちにDとの連絡を試みたが、連絡が取れたのは同月一一日午後四時三〇分頃であり、その際、Dとの間で、一緒に原告に会いに行くこと及び面会日時はCから原告に連絡を取り、原告の都合のよい日を聞いたうえで再度Dに連絡することを打ち合わせた。

(7) Cは、同日午後四時五〇分頃本件購入者名簿の記載に基づき、原告の勤務先に電話し、原告に対し、「Dと二人で伺って話をしたいが、いつが都合がよいか。」と聞いたところ、原告は「総会日までは時間がとれない。」と回答したため、総会当日の同月一四日午前九時に原告方で会うことを約した。

(8) Cが、右のように原告の勤務先に電話をしたのは、総会当日までの日数が少なかったため、できるだけ早く原告と連絡を取る必要があったこと、右電話をした時刻は原告がまだ勤務先にいる時刻であると考えられたこと、前日の原告からの電話も平日の日中にかかってきたもので、原告が勤務先からかけてきたものと思われたため、Cからの電話も原告の勤務先にかけた方がよいと考えたこと、本件マンション購入者も含めてこれまで管理をしてきたマンションの住人から勤務先に電話したことで苦情を言われたことはなかったこと等の理由によるものであった。

(9) Cは、その後直ちに、右結果をDに連絡したが、同人は総会当日はどうしても都合が悪いとのことであったため、原告に別の日に変更してもらうために、今度はDから原告に電話することになった。

(10) Dは、同月一一日午後五時頃原告の勤務先に電話したが、原告は総会当日以外の日は都合がつかないとのことであったため、結局、総会までに原告と会うことはしないこととした。

(三) 以上の事実によれば、被告東急コミュニティーが、被告東急百貨店から開示を受けた原告の勤務先の名称及び電話番号の情報を使用したことについては、正当な理由があり、右使用は違法性を欠くものというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の(一)の事実のうち、被告東急百貨店が昭和五九年九月頃から同年一一月初旬頃までの間、本件マンションを分譲したことは認め、その余は否認する。

同(二)の事実は認め、同(三)及び(四)の事実は否認する。

2  抗弁2の(二)の(1)及び(2)の事実はいずれも否認する。同(3)の事実は認める。

抗弁2の(三)の(1)の事実のうち、昭和六〇年二月一六日に第一回管理組合総会の開催が予定されていたことは認め、その余は否認する。同(2)の事実のうち、被告東急百貨店が、昭和五九年一二月頃、被告東急コミュニティーに対して本件購入者名簿を交付したことは認め、その余は否認する。同(3)の事実のうち、被告らが、「東急グループ」という同一の企業グループに属していたこと及び被告東急コミュニティーが本件マンションの販売後の管理をなす予定になっていたことは認め、その余は否認する。

抗弁2の(二)及び(三)の事実が認められたとしても、被告東急百貨店が被告東急コミュニティーに対し、本件購入者名簿を作成、交付することにより、原告の勤務先の名称及び電話番号を開示したことについて、正当な理由は認められない。

3  抗弁3の(二)の(1)ないし(3)、(7)及び(10)の事実はいずれも認める。同(4)ないし(6)、(8)及び(9)の事実はいずれも否認する。

抗弁3の(二)の事実が認められたとしても、C及びDの連絡事項は、いずれも原告の自宅に電話すれば足りることであって、勤務先に対して電話する必要性は認められず、したがって、被告東急コミュニティーが原告の勤務先の名称及び電話番号の情報を使用したことについて正当な理由は認められない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一まず、被告東急百貨店の同東急コミュニティーに対する原告の勤務先の名称及び電話番号の開示行為が、原告のプライバシーの侵害に該当するか否かについて判断する。

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  そこで、原告の勤務先の名称及び電話番号が、法的に保護された利益としてのプライバシーに属するか否かについて検討する。

(一) プライバシーすなわち「他人に知られたくない私的事柄をみだりに公表されないという利益」については、いわゆる人格権に包摂される一つの権利として、「他人がみだりに個人の私的事柄についての情報を取得することを許さず、また、他人が自己の知っている個人の私的事柄をみだりに第三者へ公表したり、利用することを許さず、もって人格的自律ないし私生活上の平穏を維持するという利益」の一環として法的保護が与えられるべきであり、そのための要件としては、公表された事柄が、(1)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること、(2)一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、(3)一般の人に未だ知られていない事柄であることが必要であるとの見解があり、当裁判所も、これを正当と考える。

(二)  右の見地に立って考えると、勤務先の名称及び電話番号は、本人がその勤務先における業務を遂行するについて、取引先等の関係方面には周知して貰う必要のある事項であり、仕事以外の面においても、本人が勤務先に居る間に、直接本人と連絡を取りたいとき等に友人知人らにより日常的に利用されている情報であることは公知の事実であって、必ずしも、私生活に限られた事実と言いがたい面があることは否定できない。

しかしながら、勤務先における就業によって、本人の交際範囲や生活範囲の全てが決定されるわけではないから、自らが、勤務先を知られても差し支えなく、あるいは連絡をとられても差し支えないとする者を除き、それ以外の一般の第三者には、自分がどのような職業を持ち、どのような仕事先で働いているかを知られたくないと欲することは、決して不合理なことではないし、勤務先に、一般の第三者から、予期せぬ電話等を受けたくないと欲することも、また同様に保護されるべき利益であるというべきであり、プライバシーの権利は、このように、自己に関連する情報の伝播を、一定限度にコントロールすることをも保障することをその基本的属性とするものと解されるのである。そうすると、勤務先の名称及び電話番号は、私生活上の事柄としての生活をも併せ有するものと解される。

(三) 〈証拠〉によれば、本件当時、原告の勤務先には、三本の電話があったが、いずれも電話帳に番号を登載せず、また、得意先、従業員の家族等の特定の者以外には右番号を公表していなかったこと、原告は、被告東急百貨店に対して本件購入申込書を提出するに際し、当初は勤務先の名称及び電話番号を記入しておらず、右申込受付を担当した被告東急百貨店の従業員Eから、連絡用に記入してほしいと頼まれ、同席した原告の勤務先顧問(社長)Fの承諾を得て記入したことが認められる。

右事実によれば、本件における原告の勤務先の名称及び電話番号は、原告において当初から一貫して秘匿の意図を有していたものとみられ、一般人の感受性を基準にして、原告の立場に立った場合、公開を欲しない事柄であり、かつ、一般の人に未だ知られていない事柄に該当するというべきである。

(四)  よって、本件における原告の勤務先の名称及び電話番号は、前記の各要件を満たし、法的に保護された利益としてのプライバシーに属する。

3  次に、右プライバシーが公表されたといえるかどうかについて検討する。

(一) 前述したプライバシーの法的性格からして、ここにいう「公表」とは、必ずしも不特定又は多数人に対してなされる必要はなく、当該事柄を知られたくない特定の者に対して開示する行為をも含むと解すべきである。

(二) そして、前記本件購入申込書の記入の経緯に照らせば、原告はその勤務先の名称及び電話番号を被告東急百貨店に対して開示することは承諾していたが、同東急コミュニティーに対しては承諾していなかったものと認められ、したがって、本件における被告東急百貨店の同東急コミュニティーに対する原告の勤務先の名称及び電話番号の開示行為は、プライバシーの公表に該当する。

4 以上によれば、本件における被告東急百貨店の同東急コミュニティーに対する原告の勤務先の名称及び電話番号の開示行為は、原告のプライバシーの侵害行為に該当するということができる。

二ところで、プライバシーを開示しても、それが、正当な理由に基づくものであるときには、右開示は違法性を欠くものとして、プライバシー侵害の不法行為は成立しないと解すべきであり、プライバシーの開示行為に正当な理由が認められるかどうかについては、右開示の目的、必要性、開示行為の態様、開示によってプライバシーを侵害された者の受ける不利益の程度その他諸般の事情を総合考慮して判断すべきであるとの見解があり、当裁判所もこれを正当と考える。

右の見地に立って、本件についてこれを見ると、抗弁2の(二)の(3)の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同2の(二)の(1)及び(2)の事実が認められる。

右各事実によれば、被告東急百貨店が本件購入者名簿を作成した目的は、販売物件に関する連絡事項の購入者への伝達及び本件マンションの管理会社となる予定の被告東急コミュニティーによる本件マンションの管理に関する連絡事項の購入者への伝達のために、購入者の所在及び連絡先を一覧的に把握することにあり、右作成目的は社会通念に照らし正当なものであったということができる。

また、被告らの主張するように、購入者が本件マンションに入居する前は、連絡事項を伝達しようとしても、従前の自宅宛では必ずしも連絡のつかない場合があり、入居後でも、同居の家族がおらず、あるいは日中不在である場合、ガス漏れ等により同居の家族自身に何らかの事故が発生した場合、連絡事項の内容からして購入者本人に直接または緊急に連絡する必要がある場合もありうるので、これらの場合に備えて本件購入者名簿に勤務先の名称及び連絡先を記載してもらうこととするのは、前記購入者名簿作成の目的に照らして必要な措置として合理性を認めることができる。

次に抗弁2の(三)の(1)の事実のうち、昭和六〇年二月一六日に第一回管理組合総会の開催が予定されていたこと、同(2)の事実のうち、被告東急百貨店が、昭和五九年一二月頃、被告東急コミュニティーに対して本件購入者名簿を交付したこと、並びに同(3)の事実のうち、被告らが「東急グループ」という同一の企業グループに属していたこと及び被告東急コミュニティーが本件マンションの販売後の管理をなす予定になっていたことについてはいずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば右(1)ないし(3)の事実のうちその余の事実を認めることができる。

右事実によれば、被告東急百貨店が、被告東急コミュニティーに本件購入者名簿を交付した目的は、同被告が、昭和六〇年二月一六日に開催が予定されていた第一回管理組合総会の通知、運営の補助及び同被告による本件マンションの管理に関する連絡事項の本件マンション購入者への伝達のために、本件マンション購入者の連絡先を把握することにあり、同被告はこの時点では正式に本件マンションの管理委託を受けていたわけではないものの、本件マンションの管理会社となることについては、購入者全員の承諾を得ていていわば既定の事実であったのであるから、右購入者名簿の交付の目的は正当なものであったということができる。

また、前同様の理由から、右目的を達するためには購入者の勤務先の名称及び電話番号を連絡先として一覧的に把握する必要があったものと認められ、被告東急百貨店が同東急コミュニティーに対し、本件購入者名簿を交付したことも右目的に照らし必要な措置であったということができる。

更に、前記認定説示の事情に加え、被告東急百貨店による本件購入者名簿の交付は被告東急コミュニティーに対し限定してなされたものであること、本件購入者名簿は被告東急コミュニティーの社内においても部外秘扱いとして厳重に保管されていたことからすれば、被告東急百貨店による本件プライバシー開示行為の態様も社会的にみて相当な範囲内のものであったと考えられる。

右事実に加え、前記のとおり被告東急コミュニティーが本件マンションの管理会社となることについては分譲時に原告を含む購入者全員の承諾を得ていたこと、今日では日常生活における連絡先等として勤務先の名称及び電話番号が広く一般に利用されていること等をも併せ考慮すれば、本件で被告東急百貨店が原告の勤務先の名称及び電話番号を被告東急コミュニティーに対して開示することについて、原告に特に異議がないものと信じたことには相当の理由があったものということができる。

最後に右開示行為によって原告の受けた不利益の程度について検討するに、原告は、被告東急コミュニティーからの電話について上司から詰問された旨供述するのであるが、一般にはそのような事態が生ずることは稀有なことであると考えられ、原告がこの電話によってどの程度実際的不利益を蒙ったかは必ずしも明らかでないのである。

以上の諸事情を総合すれば、本件における被告東急百貨店によるプライバシー開示行為については、正当な理由があったものと認めることができるから、右開示は違法性を欠き不法行為を構成しないものというべきである。

三次に、被告東急コミュニティーが開示された情報(電話番号)を利用して原告に電話した行為の違法性の有無について判断する。

1  抗弁2の(四)の(1)ないし(3)、(7)及び(10)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同(4)ないし(6)、(8)及び(9)の事実を認めることができる。

右各事実によれば、被告東急コミュニティーの従業員であったC及びDが原告の勤務先に電話をかけた目的は、原告が、本件マンション管理組合の定期総会において同被告に対し質問を予定していると予めCに連絡してきたため、その準備のために原告と連絡をとることにあったと認めることができる。そうすると、考えようによっては、こうした事態の端緒は原告がつくったともいえるのである。

2  そして、適法に知得した電話番号に電話をかける行為自体は、脅迫その他の違法な目的でなされる等の特段の事情が認められない限り、何ら違法性を有するものでないことは当然であり、前記のとおり、本件の被告東急百貨店の同東急コミュニティーに対する原告の勤務先の電話番号の開示行為には正当な理由が認められ、これが適法であると考えられる以上、同被告が、右開示行為によって知得した原告勤務先の電話番号に前記認定の目的で電話をかけた行為を違法とすることはできない。

四以上によれば、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官小澤一郎 裁判官笠井之彦)

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